むかぁしむかし、塩田の五加村に田んぼや畑をたくさん持っている大百姓の市左衛門という人がおった。
古くから開けていた塩田平の真ん中あたりに市左衛門さんの屋敷があり、本郷村から柳沢村の方まで田んぼを持っていた。雇い人も 大勢働いていた。
ある春の日、若草がすくすくと伸びはじめ小鳥の鳴き声ものどかに聞こえるころ、市左衛門さんの柳沢の田んぼには七人ほどの雇い人が毎日毎日働きに出ておった。
このころ市左衛門さんの家には、おきわさんという美しい女中が働いておった。
年は十八、五加村の人たちだれにも好かれる 心のやさしい娘だった。
その、おきわさんは、毎日田んぼに働きに出て いる男衆にお昼のお弁当を運んでおった。
おきわさんは、普段から柳沢のお地蔵さんを深く信心しておったのでな、お弁当のうちからほんの少しだけお地蔵さんにお供えして、それから男衆のところへ届けるようにしておった。
けれども、男衆の中には、おきわさんが届けてくれるお弁当の中身が少し減っているのを知ってあまりよく思っていない者がおった。
そのうちに「あの女はきっと地蔵さまの前でつまみ食いをしてから持ってくるにちげえねえ」と言いふらす者さえ出てくるようになった。
男衆は、俺たちが汗水ながして働いているのにつまみ食いをした弁当をそしらぬ顔で持ってくることはゆるせねえ、今日こそおわきのやつをひどい目にあわせてやろうと、中でも悪い連中が相談し焼け火ばしを用意して、もうくるか、もうくるかと待っておった。
こんな悪だくみがあるとは知らない、心のやさしいおきわさんは、いつものようにお地蔵さんに「どうか今日も男衆がけがもなく、病気もしないように」となんべんもおまいりをしてからお弁当を運んでいった。「さあさあ皆さんお腹すいたでしょう。今日は美味しい煮物がたくさんありますで早くにおあがりなんしょう」
この時、雇い人の一人が、「毎日毎日つまみ食いをした弁当をそしらぬ顔をして持ってくるとはけしからん。これからつまみ食いをしないように、こらしめてやる」と言って、おきわさんのおでこに真っ赤に焼けた火ばしをさっとおしつけた。
おきわさんは「ギャー」とおどろきの声をあげて泣きながら逃げ帰った。男衆の中には、これはまずいことをしてしまったわい、少しひどすぎたかな、かわいそうなことをしたと、内心は心配になったものもおった。
やがて前山寺のくれ六つの鐘が塩田平にゴーンゴーンとひびき渡った。
心配しながら市左衛門さんの屋敷に男衆が帰ってみると、どうしたことだろう。おきわさんは、いつものように笑顔でかいがいしく元気に立ち働いているではないか。
「おつかれさんでした」と言ったおきわさんの顔は美しく、そればかりかおでこには、ついているはずの焼け火ばしのあともなかった。男衆はただただおどろくばかりだった。
ところが次の日に男衆が柳沢のお地蔵様の前を通った時に、このおきわさんの顔についているはずの焼け火ばしのあとが、お地蔵さんの顔にくっきりと現れていることが分かったのだった。あまりの不思議さに男衆はまたまたおどろくばかりだった。
それからは男衆は心を入れかえてお地蔵様とおきわさんをとっても大事にするようになった。
日ごろ信心深い純情なおきわさんの災難を、お地蔵様が身代わりになって下さったことは、その後だれ一人として知らないものはないようになった。
今でも柳沢にはこのお地蔵様が金焼地蔵様としてうやまわれて、道ばたでおだやかな顔をして立っている。