怪力孫兵衛

 

「石臼を引きずった赤ん坊の孫兵衛」

孫兵衛は幼い頃父親に死に別れましたが、母親が一人で大事に育てました。

はい始めたある日、母親は畑仕事に出かける前に、「どっかへはってっちまうかもしれねぇから、石臼へしっかりと結び付けておかねぇとな」と、帯紐で石臼へ結びつけておきました。

ところが、その重い石臼をそろりそろりと引きずって、庭先へはい出てしまったそうです。まだ立って歩けないうちからそんなに力持ちだったのです。

十二歳頃になると、一人で米俵を楽々とかつぎ上げ、、十五歳頃には米俵をかついで、駆け足で運んだといいます。

母親は、「この子ははこんねん力があって、どっか、おかしいだらずか。いまに間違ったことに使っちまうんじゃあるめえか」と心配になり、近くの西光寺というお寺に、寺男として預かってもらうことにしました。

孫兵衛はお寺で和尚さんの言いつけをよく聞いて、まめまめしく働きました。

夏のある晴れた日のことです。和尚さんが庭先 で風呂を立てて、いい気持ちで入っていました。その時、突然空がかき曇ったかと思うと、鼓膜が張り裂けそうな雷が鳴り、空の底が抜けたかと思うような大雨が降ってきました。

和尚さんは大変驚いて「孫兵衛ぇ、オーイ孫兵衛ぇ、すぐ傘を持ってきてくれぇー!」と叫びました。

 

「和尚さんを風呂桶ごと運んでしまった孫兵衛」

孫兵衛は傘を捜すのが面倒だったので、「なーに、このくれぇぞうさもねぇ」 と言って、「うう、うううん」 と力を入れたかと思うと、和尚さんを入れたまま 風呂桶を持ち上げてしまいました。

「こ、これ、孫兵衛、やめろ。早く下ろせ」と、びっくりして止めさせようとする和尚さん の声には耳もかさず、土間に運び込んで、そっと 下におろしました。

 

「殿様と孫兵衛」

この話しが村中の評判になって、ついに上田のお殿様の耳に入りました。

「それは珍しい大力である。どれほど力がある のか、ひとつ試してみよう。

その孫兵衛とやらを城へ呼べ」ということになり、お城に召し出されました。

お城では、お殿様や大勢の家来の人たちが見ている前で力ためしが行われました。

「一本足の高下駄をはいて、背負子に米五俵をつけて立ってみよ」と言われました。孫兵衛は楽々と立ち上がって、それどころかお庭を一回りして、静かに下ろしてお殿様におじぎをしました。

「ううむ」と驚いたお殿様は次に、「その下駄をはいたまま、米俵三俵を背負子で背負って、途中休まずに家まで行ければ、その米をつかわそう」と言います。

孫兵衛は米俵を背負ってお城を出ました。孫兵衛が途中で休まないか、家までちゃんと行けるか、見張りの侍が離れてついて行きます。

途中の長池の近くまで来た時、急に孫兵衛の姿が見えなくなりました。

見張りの侍が、「さては孫兵衛め、隠れて休んだか、力尽きて倒れたか」と駆け寄ってみると、孫兵衛は米俵を背負ったまま、子どもたちと魚を取って遊んでいたそうです。

それから三俵の米を背負ったまま、平気な顔で家まで帰りました。

また、お城に召し出され、この前よりもっとすごい力持ち振りをお殿様にお見せして「見事、見事」とたくさんほめられて、お酒をいただくことになりました。

お酒のほかに大きな桜鯛も出されました。

お給仕の侍が、「いかに孫兵衛でも、鯛の固い骨は食えまい」と言うと「いいや、鯛の骨ぐれぇわけなく食えますだ」と言って、ポリポリと食べてしまって、周りの人たちをびっくりさせたということです。

 

「大西文太左衛門と孫兵衛」

上田のお殿様の家来に、これも力持ちで有名な大西文太左衛門という人がいました。

あるとき、孫兵衛は文太左衛門のお供をして江戸に行くことになりました。

二人が熊谷あたりにさしかかった時、たけのこ掘りをしている人たちがいました。

見ると鍬のような道具を使って掘っています。

「その方たちは、どうして手で掘らぬのだ」と文太左衛門が尋ねると、「たけのこがどうして手で掘れましょう」と言うので、文太左衛門は手でたけのこをスポリスポリと掘ってみせました。

孫兵衛は素手で青竹を引き抜いて、指でしごいて節をつぶし鉢巻にしてみせたので、たけのこ掘りをしていた人たちは「鬼が出たぁ」と言って逃げていってしまったそうです。

江戸に着くと、文太左衛門はお屋敷に上がれますが、孫兵衛は上がれません。

ぞうり番をしながら玄関先で待っていなければならないのです。

「大西様、おぞうりはここに置きますだ」と言って玄関の柱を持ち上げると、柱と土台の間にぞうりを挟んだということです。

 

おしまい

このウィンドウを閉じる