別所温泉の周辺には信州の鎌倉と呼ばれる塩田平があります。
塩田平はかつては塩田北条氏三代の居城「塩田城」がありました。またその周りには神社仏閣が点在し、現在なおその面影を残しています。
別所温泉と合わせ、じっくりと滞在での観光を是非ご計画ください。
「未完成の完成の塔」国重要文化財 前山寺三重塔(真言宗智山派)
812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創したといわれています。当初は法相宗と三論宗を兼ねていましたが、1331年善通寺から長秀上人が訪れ、現在の地に移し規模を拡大させたとされています。のち貞享年中(1684年~1687年)に真言宗智山派に改宗されました。
国重要文化財 中禅寺薬師堂(真言宗智山派)
中禅寺の創建は天長年間(824~34)空海が雨乞いの祈祷をする為に草庵を結んだのが始まりと伝えられています。
その後、源頼朝、塩田北条氏などに庇護され寺運が隆盛したとも伝えられていますが永享年間(1429~41)、寛文5年(1665)、享保5年(1720)と火災にあい多くの堂宇、寺宝、記録などを焼失し詳細は不明な点が多いとされています。享保19年(1734)に祐精法印が中興開山し現在の本堂を建立しています。
龍光院(曹洞宗)
龍光院の創建は弘安5年(1282)塩田北条国時が父である義政の菩提を弔う為月湲和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。塩田北条氏の菩提寺として庇護され寺運も隆盛しますが元弘3年(1333)、新田義貞に組した為一族が滅びその後衰退します。
慶長6年(1601)萬照寺六世瑞応が中興開山し当初の寺号だった仙乗寺を龍光院と改め曹洞宗の禅寺としました。
塩田城跡
塩田城は鎌倉時代中期(建治三年=1277)鎌倉幕府の重職であった北条義政がこの地に移り館をかまえたことから始まります。義政の子国時、その子俊時と三代に渡り約六十年、塩田北条氏と称し信濃の一大勢力としてこの地方を統治し、また幕府内でも活躍しました。
元弘三年(1333)鎌倉幕府の運命が危うくなったとき、この塩田北条氏は「いざ鎌倉」一族をあげて支援にかけつけたが、幕府とともに滅亡しました。
前山塩野神社
塩野神社はかつては独鈷山の山頂辺くの鷲岩という巨岩に祀〔まつ〕ってありました。後に人里近いこの場所に遙拝所〔ようはいじょ〕としての御門屋〔みかどや〕が建てられ、その後本殿もこの地に移されたといわれています。
生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)
創建時期は不明ですが、平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っています。中世未期以降には、「下之郷大明神」「諏方法性大明神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けてきました。寛政十一年(1799)に社名を生島足島神社に改めました。